休ませてあげよう(マタイ11-28)
疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
Come to me, all you that are weary and are carrying heavy burdens, and I will give you rest.
(マタイ11-28)
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「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し」(徳川家康)というように、人はだれでも重い荷を背負ってこの人生を歩んでいます。
その重荷をともに担い、ともに歩んでくれる人が、あなたのまわりにもいらっしゃいますか。
目に見えて人の荷を担うわけではないのですが、そこにいてくれるだけでなんとなく心休まり、あなたの重荷を軽くしてくれるような人。
傍らにすわって、にこにこしながらあなたの話を聴いてくれる人。
あなたの存在を良いところもダメなところも全部受け入れてくれるような人。
そういう人の存在は、有り難いですね。嬉しいですね。
もしかしたら、あなたもまわりの人にとって、そういう方であるかもしれません。
心が柔和で謙遜だったイエス・キリストも、そんな方でした。
多くの人が彼のもとにやってきては、心や体の疲れを癒されました。
そして、生きる希望と勇気を得ることができました。
と、過去形で書いてしまいましたが、本当は現代も続いている出来事です。
イエス・キリストはただの歴史上の人物ではありません。
人間であると同時に神ですから、時間と場所を超越して現代のわたしたちにかかわることができます。
聖書はそう教えているのです。
現代の日本においても、イエス・キリストとかかわる人は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」という招きを感じます。
少なくともキリストを信じる者にとっては、キリストはこの人生をともに歩んでくださる友であり、師でもあるのです。