新約聖書

人を裁くな (ルカ6―37)

人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。

Do not judge, and you will not be judged ; do not condemn, and you will not be condemned. Forgive, and you will be forgiven.
(ルカ6―37)

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「またあいつ約束の時間に遅れた。ダメなやつ」
こんなセリフは、自分が相手より高みに立って、「人を裁く」ときに出てくるものです。

「人を裁く」とは、法的な処罰を講ずるための裁判を意味しているのでなく、日常的に、人を侮辱したり、軽蔑したり、悪口を言ったりする行為や思いのこと。

そういうふうに「人を裁く」ことがありませんか。
わたしにはあります。「自分のことを棚に上げて」と言いますが、人を悪く思うとき、誰かに腹を立てているとき、ついついわたしも自分を棚にあげてしまいます。そう言う本人も、実は同じような欠点をもっているのに・・・・・・。

「人を判断せねばならないときには、何か言い訳を捜してあげよう。きっとそれは見つかる」とは、聖ホセマリア・エスクリバーの言葉です。

時間に遅れてきたのは、たまたま電車が遅れてきたのかもしれない。体調が悪くて、それでも無理してきたのかもしれない。その理由を聞いて、理解し赦してあげようと言うのです。

さて、この後のイエスの言葉は次のように続きます。

「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは、自分の量る秤で量り返されるからである」(ルカ6-38)

この世で人間が人間を裁く権利はあるにしても、その裁く人もいずれ裁かれる身となります。その最後の審判者は、神です。

ですから、他人の裁きは全面的に神さまに任せ、わたしたちは赦すことに精を出した方がよさそうですね。
わたしたちは人を赦した分だけ、赦されるのですから。