旧約聖書

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。(コヘレト12-1)

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。(コヘレト12-1)

 

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。

苦しみの日々が来ないうちに。

「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。

So remember your Creator while you are still young,
before those dismal days and years come when you will say,
“I don’t enjoy life.”

(コヘレト言葉12章1)

預言者コヘレトは言いいます。

「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。
一代過ぎればまた一代が起こり、永遠に耐えるのは大地。

(中略)

何もかも、もの憂い。

(中略)

太陽の下、新しいものは何ひとつない。
太陽の下、人は労苦するが、すべての労苦も何になろう。」

(コヘレト言葉1章1~9)

このように、この世がいかに空しいかが、ずっと語られます。

そして最後に、だからこそ、「お前の創造主に心を留めよ」と言います。

なぜなら、この空しさを埋めるものは、神しかいないのですから・・・。

聖アウグスチヌスは、名著『告白録』の第1章に書いています。

「あなたは私たちを、ご自身にむけてお造りになりました。
ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」(『告白録』第1巻1章)

『告白録』のなかの「あなた」とは、神です。

聖アウグスチヌスは、神に向かって告白しています。

聖アウグスチヌスは、天才的な頭脳の持ち主でしたが、若い頃から多情多感の放縦な生活を送り、異端に溺れていました。

母親の信頼を裏切り、魂が満たされないまま、苦しく悶々とした生活をつづけていた人です。

しかし神を知ることで、ようやく魂の安らぎを得ることができたのです。

ちなみに、聖アウグスチヌスが改心したのは、別荘で瞑想にふけっている時でした。

有名な話ですが、隣家で遊ぶ子供たちが「取りて読め、取りて、読め」と歌っているのを聞きました。

彼は、それに従って聖書を開くと、聖パウロの書簡が目に入ってきたのです。

「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いと妬みを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして肉に心を用いてはなりません」
(ロ-マの信徒への手紙13章13-14)

この刹那、劇的な回心が起こったとアウグスチヌスは述懐します。

「私はそれ以上読もうとはせず、その必要もありませんでした。

というのは、この節を読み終わった瞬間、いわば安心の光とでもいったようなものが、心の中にそそぎこまれてきて、すべての疑いの闇は消え失せてしまったからです」(『告白録』第8巻29章)

神を知ることは、早い方がいいと思います。

でも、誰にとっても、今からでも遅くありません。

お腹を満たすものは、おいしい食べ物です。

心を満たすのものは、温かな愛です。

愛には、二つあります。

人間の愛と神の愛。

神の愛は、人間の愛より、はるかに大きいものです。

神の愛が心にそそがれるなら、私たちは平安に満たされます。