だれよりもたくさん入れた (マルコ12-43)
この貧しいやもめは、
賽銭箱に入れている人の中で、
だれよりもたくさん入れた。
This poor widow has put in more than all those who are contributing to the treasury.
(マルコ12-43)
これは、最後の晩餐の前日、イエスがエルサレムの神殿で弟子たちに発せられた言葉です。
イエスの受難と死が目前に迫っていました。
イエスはそれを当然、予知しておられました。
まもなく師を裏切る弟子たちに、教えておかねばばらないことがたくさんありました。
「神殿の崩壊の予告」と「終末の徴」、「死と裁き」、さらに「偽善的な行いへの警告」も。
師の語調がいつになく激しいのに気づいても、その切迫した心を理解できる者はいませんでした。
そのようなとき、ひとりの貧しいやもめが現れたのです。
賽銭箱への行列に混じった彼女の行いを見たときのイエスの目の輝きが想像できます。
彼女の捧げた献金は、金銭的にはごくわずかなものでした。
しかし、彼女が貧しい生活を送りながらも神への信仰を失わない善良さをもち、そのわずかな金銭が彼女にとってどれだけ大切なものかをイエスはご存じでした。
寛大な心は金銭の額だけでは計れず、信仰の深さは見た目だけではわかりません。
しかし、神さまはわたしたちの心を見ることも、計ることもおできになるのです。
あの貧しいやもめの行いは、だれにも注目されるものではありませんでしたが、イエスだけは見ておられました。
彼女の行いは、人々の裏切りと死を真近に控えたイエスの心を慰めました。
そして、弟子たちに言い残しておかねばならない大切な教えを伝える絶好の機会ともなりました。
人間の功徳の値打ちは、どれだけ与えたかではなく、どのような心で与えたかにあるのだと。