新約聖書

あなたがたは世の光である(マタイ5-14)

あなたがたは世の光である(マタイ5-14)

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

You are the light of the world. A  city built on a hill cannot be hid. No one after lighting a lamp puts it in the bushel basket, but on the lampstand, and it gives light to all in the house. In  the same way, let your light shine before others.
(マタイ5-14~16)

マザー・テレサは、自分が世間の人々から賞賛されたり、チヤホヤされたりすることを嫌がりました。

「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
(マタイ6-3~4)

この福音の精神に忠実だった彼女は、できれば隠れて過ごすことが望みでした。

しかし、彼女がノーベル平和賞を受けると世界中のマスコミは一斉に彼女を聖女として祭り上げ、世界中の人々に知られることになりました。

それは彼女が本来望んでいなかったことです。
授賞式後、報道陣に囲まれた彼女は、いつものようにやさしいほほえみを浮かべながら心境を述べました。

「わたし個人はノーベル平和賞に値するとは思いません。でも、誰からも見捨てられ、愛に飢え、死に瀕している世界のもっとも貧しい人々にかわって賞を受けました」

そんな彼女に「あなたがたは世の光である」というイエスの言葉は、力を与えたはずです。

その言葉どおり、彼女は、この世の片隅を照らすために世の光となりました。

その光によって、この世から見捨てられたような人々にも多くのまなざしと温かさが向くようになりました。

ただ、彼女は知っていたのです。

光の源は、決して自分ではないということ。

自分自身が輝いているのではなく、輝かせていただいていること。

自分は、ただ自分に与えられた光を分け与えているのに過ぎないということ。

そういうことを承知しながら、世のなかを照らしている人は、謙虚で温かいのです。

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