共にいる神~ひとりぼっちじゃない
カトリック系の小学校で教えていたときのある母子(おやこ)の会話を思い出しました。二人ともキリスト信者ではありません。
小学一年生の子どもがお母さんに、突然聞いてきたのだそうです。
「お母さん、お母さんはひとりぼっちって思ったことある?」
お母さんがどう答えたらよいか思案していると、その子は言いました。
「お母さん、僕達にはいつも神様がついていてくれるから、ひとりぼっちじゃないよ」
学校でそう習ったからかもしれませんが、素直に信じられるのは、子どもの特別な賜物です。
子供のような心があれば、神様を認め、神様と話をすることができます。
思い起こせば、私もそうでした。父母は神社に行けば賽銭を投げて手を合わせ、寺院に行けば仏像を拝む、ごく普通の日本人でした。
当然、幼い私もそのまねをするのに抵抗はありません。
家には小さいながらも神棚がありました。
その神棚には「神さん」がいるのだと教えられれば疑いませんでした。
時折父母がその前で手を合わせて拝む姿を見たり、備え物の食物や酒を代えたりするような時には、「神さん」って偉いんだなと思わざるを得ません。
両親から「そんなことをしたら天罰が下るぞ」とか「願いごとをしたらかなえられる」とかいうことは何度か聞かされたように思います。
ある嵐の日の夕方、仕事に行った両親が帰って来られなくなったのだと心配して、ひとり神棚に手を合わせていたことを覚えています。
幼い信仰心は、年齢を経るにつれて薄れていくことが多いようですが、幸い私は本当の神様と出会うことによって確信となりました。
神様は、いつも私たちと共にいてくださいます。
それは、神様が私たちを愛しく思われるからです。
ラジオ「心のともしび」2015年10月放送原稿