新約聖書

心の貧しい人々は、幸いである(マタイ5-3)

心の貧しい人々は、幸いである(マタイ5-3)

心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。

Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven.
(マタイ5-3)

えっ?心の貧しい人が、どうして幸いなの?と驚く人が多いのがこの言葉です。

ちょっと待ってください。この「心の貧しい人」とは、日本語でいう「心の豊かな人」の逆の意味ではありません。

もともとは、ヘブライ語の「アナウィム」で、「自分の貧しさを知る態度の人」という意味です。「物質的にも貧しく、精神的にも富を求めない人」とも解することができます。

このような清貧の人であれば、心はこの世でより自由となり幸福を味わい、天国に入れるとキリストは言われたのです。

逆に、心が物欲に支配されているなら、この世でもあの世でも人は幸福になりえません。

この悟りがたい真理を、イエス・キリストは、この世に誕生されたときから無言で教えられました。

思い出してください。2000年前のクリスマスの出来事を。

救い主として生まれた赤ん坊を殺すために、その辺り一帯の赤ちゃんを皆殺にしたヘロデ王の宮殿には、ありあまるほどの財宝がありました。

しかし、彼は富への満たされることのない欲望と富を失うことの恐れから、心はさいなまれ気が狂うほどだったのです。

一方、イエス・キリストがお生まれになった場所は、ヘロデの宮殿の倉庫とさえ比べ物にならないほどつつましい馬小屋でした。

そこには、生活のために必要なものさえない有様でした。

しかし、幸福になるためのすべてがあったのです。
マリアとヨセフという互いに敬い愛し合う若い夫婦、そして生まれたばかりの小さな赤ん坊がいました。

主のご降誕(クリスマス)を、いまも世界中で祝います。

あのつつましい馬小屋には、現代のわたしたちにまで届くほどの愛があり、感謝があり、喜びがあったのです。