義のために迫害される人々は、幸いである(マタイ5-10)
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
Blessed are those who are persecuted for righteousness’ sake, for theirs is kingdom of heaven.
(マタイ5-10)
いまも昔も、現実の社会で義を貫こうとすれば、ちょっとした「迫害」を受けることがあります。
たとえば、仲間がしている不正な行いを自分だけするのを拒めば、「いい格好するな」と仲間からはずされ、いじめを受けます。
たとえば、企業の利益を上げるために社長が行っている不正を諌めれば、「うっとうしいヤツだ」と思われ、左遷されたり、クビになったりします。
イエス自身もそういう迫害にあった一人です。
そして、十字架にまでつけられたのです。
おもしろいのは、世の新興宗教がこの世での御利益を約束するのとは逆に、イエスは弟子たちに、おまえたちはわたしと同じように苦しむよと預言しておられることです。
「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く」
(ルカ21-12)
その言葉の通りになり、迫害された弟子たちのほとんどは、イエスを見捨てて逃げました。
後に最初の教皇となるペトロでさえ、そうでした。
みんな弱くもろい生身の人間だったのです。
しかし、イエスの復活を見た彼らは変わり、強められます。
ペトロの名誉のために書きますが、立ち直った彼は、その後、自分の信じる「義」のためにどんな迫害にも耐えぬき、ローマで十字架の処刑を受けて殉教しています。
義のために迫害される人は、孤独を感じるものです。
しかし、この世でも神さまがいっしょにいてくださいます。
神であったイエスも、義のために迫害されたのです。
神は、その痛みや苦しみを迫害される人とともに担ってくださるのです。