自分らしく―高山右近らしさ―
2017年2月7日は、ユスト高山右近の列福式の日です。
高山右近の名前は、歴史の教科書にも登場するので、多くの人に知られています。
けれども、国外追放された負け組の戦国キリシタン大名だと思われがちでした。
その右近が、帰天後、約400年を経て、新たに脚光を浴びるのをうれしく思っています。
右近は、若いころからキリスト教信仰が厚く、主君に信頼され、家臣や領民から慕われた有能な戦国武将でした。
ただ、右近が望んだものは、大名としての地位や財産ではなく、キリスト者として生きることでした。
それゆえ、時の権力者がキリスト教を迫害し出し、各地のキリシタン大名が次々と信仰を捨てても、右近だけは頑として応じませんでした。
地位や財産を捨て、信仰をまっとうする道を選んだのです。
そして、ついには国外追放となり、辿りついたフィリピンのマニラで、病気のために帰天します。
この右近の生き方は、現代の私たちを照らす光を与えます。
現代の日本では、キリスト教信者が表立って迫害されることはありません。
しかし、状況は違っても、神不在の物質主義、科学万能主義、快楽主義が蔓延し、信仰が軽んじられる難しい時代に、私たちは置かれています。
その中で、自分の地位や名誉を損ない、社会的に不利な立場となっても、信仰を表明し、信仰に応じた生き方を貫くことは簡単なことではないでしょう。
右近は、困難な状況の中、キリストのように生きることを第一に考え、行動していきました。
その結果、この世の限りある富を失っても、天国での永遠の栄冠を勝ち得たのです。
私もまた、右近に倣い、自分の役割を果たしつつ、キリストのように生きることができればと願っています。
ラジオ「心のともしび」2017年2月放送原稿