愛によって互いに仕えなさい(ガラテヤ 5-13)
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
For you were called to freedom, brothers and sisters ; only do not use your freedom as an opportunity for self-indulgence, but through love become slaves to one another. For the whole low is summed up in a singled commandment, “ You shall love your neighbor as yourself.”
(ガラテヤ 5-13~14)
だれもが自由をもっています。
たとえば、わたしたちが、今日一日をどう過ごすか、それは決まっているようでいて、決まっていない。
学校に行けば、今日受ける授業は決まっています。
しかし、わたしたちは、授業に出ることも、授業をさぼって映画を観にいくこともできます。
会社に行けば、今日すべき仕事はほぼ決まっています。
しかし、わたしたちは、仕事をすることも、仕事をさぼってふらりと旅にでることもできます。
どちらが、より自由かというのではなく、どちらでも選べる自由がわたしたちにはあるのです。
問題はどんな自由の使い方をすれば、より価値があり、その人を幸福に導くか、ということ。
聖パウロは、その自由を使って罪を犯すことを戒めます。
当然です。罪はだれをも幸福にしません。
聖パウロが勧めるのは、自ら愛によって互いに仕え合うことです。
しあわせは、仕合せとも書きます。
互いに仕え合うことが、仕合せです。
愛をもって仕え合うことが、わたしたちの幸福の道なのです。