給食が終わった後、一年生のある子が「これ、落ちてました」と名刺大の紙切れを持ってきました。
「かってもらえますように」
はっきりとした太い字でそう書いてあります。そして横には、十字架とそれにつながったいくつかの珠の絵‥‥。
はて、これは一体どういうことなんだろうと不思議に思いましたが、その紙切れには見覚えがありました。
前日、子供たちが下校する時に、Uくんの机の引き出しの中に折り畳んであった紙片に似ていたのです。
何やら字が書いてあるようでしたが、恥ずかしいのか見せたくはなさそうです。何かいたずら書きでもしたものだろうと思い、この年齢の子にはよくあることなので、あまり気にも止めませんでした。
「持って帰りなさい」と言うと、Uくんは黙ってズボンのポケットにしまいこんだのでした。
この紙片は、きっとUくんが落としたものに違いない、後で尋ねてみようと思ったのですが、自分の引き出しの中にしまうと、そのまま私は忘れてしまいました。
翌朝、教室に行くと、びっくりすることがありました。Sくんが嬉しそうにロザリオを手に持っているではありませんか。
普通、子供がロザリオを学校に持ってくることはありません。ましてや、Sくんはカトリック信者ではないのですから。
「おはよう。Sくん、それ、どうしたの?」
「これ?あのね。昨日Uくんの誕生日で、Uくんのロザリオを買いに行って、僕も買ってもらったの」
それで、すべてが了解できました。あの紙片は、Uくんの願いを書いたお祈りのカ-ドだったのです。
Uくんが「ロザリオがほしい」と言い出したのは、お母さんによると一カ月前の五月にクラスの皆で教会に巡礼に行った時ぐらいからだったそうです。
ご両親もカトリック信者ではなかったので、持たせていいのかなと思案されたそうですが、Uくんのたっての願い事とあっては、無視するわけにはいきません。
そこで、Uくんの誕生日、学校の行事があった折りに集まった同じクラスのお母さん三名に打ち明け、連れ立って、ロザリオを買いに行くことにされました。
信者のお母さんの案内で意気揚々と、浦上天主堂の売店まで行くと、意外にも休店でした。
それならと中町教会の売店まで再び車を走らせると、そこも工事中で閉店。
もうあきらめようかと思われたそうですが、「せっかくのお誕生日に間に合わないのもかわいそう」と他のお母さんたちに励まされ、さらに大浦天主堂へと向かわれそうです。
お昼ごはんも食べず、汗を流しながら、子供のほしがるロザリオを求めて坂道を登るお母さんたちの教会巡りお買物ツア-を想像すると、私には心暖まる思いがします。
祈りは人を動かします。子供の一途な祈りに、神様が答えてくださらないわけがありません。
Uくんのおかげでロザリオを買ってもらえた他の子供たちも、その日は家族のために、特別長いお祈りをしてくれたそうです。
そして、学校でも、手に持つロザリオの珠が輝く以上に、子供たちの目は輝いているようでした。