寒き夜を湯たんぽ入れて獄に寝る 死なねばならぬ命守りて
一九七O年(昭和四十五年)十二月十一日午前十時、死刑囚Nさんは、法の決定に従い、逝かれました。
Nさんが、どのような境遇に育ちどのような罪を犯し死刑囚となるに到ったか、私は知りません。ただ、彼がある修道女に宛てた最期の手紙といくつかの短歌を縁あって拝見することができただけです。
逃亡の吾が目に痛し乗客の 夕刊に自首せよとの父の手記あり
世の鞭を共に受けむと言う母の 便り独房にて涙してよむ
罪深き極刑の吾れに賜わりし 見も知らぬ人がロザリオ一つを
Nさんが亡くなる七時間前、午前三時に書いた手紙の一部を紹介します。
「シスタ-モニカ様、お元気でしょうか。永い事お世話様になり、何時も私のため又家族のために祈っていただいたことにつき、厚く御礼を申し上げます。‥‥‥
臆病で傲慢な私だけに、日頃から最期の時はさぞ取り乱して、職員の方々に迷惑をかけるだろうと恐れましたが、案外冷静な気持ちで所長さんのお話をきき、日頃の心配が取越苦労で終わったような気持さえします。
こんな力が私みたいな人間のどこにひそんでいたのだろうかと不思議でなりません。
これこそシスタ-や他のシスタ-、神父様、そして信者の皆様がお祈りして下さっていたからに外なりません。事実それしか考えようがありません。‥‥‥
幸福者って私みたいな者のことを言うのでしょうか。
世の中には善意な方がどれ程‥‥、信仰の厚い方がどれ程‥‥、予期せぬ死期を迎え、神父様の秘跡を受けることができずに最期の瞬間を迎える人が多いのを知るとき、死刑囚と呼ばれ、殺人鬼とののしられてきた私がこんな気持ちで神様に今迄の大罪を心からお詫し、お許しが戴けるなんて勿体ないことです」
Nさんは死刑の宣告を受入れる自分の心の静けさに驚き、それが多くの人の祈りに支えられていることに感じ入っいます。
自分が大罪を犯した死刑囚であるにもかかわらず、神様からはすでに赦されていることを彼は知っています。
それは自分のために無私の愛で祈ってくださった人々がいて、神様への取り次ぎを一生懸命願っていただいたからだと、彼は感謝するのです。
そして、この死の間際にも彼はその祈りを感じ、死への怖れも不安もないようです。
「みんなのお祈りが、本当に私をこんな冷静な気持ちを取戻せる程にしてくれたのですね。お祈りや犠牲って、山にたとえるとしたら富士山の何倍、いや何十倍にもなるでしょうね。私って馬鹿だね。シスタ-、子供みたいなことを考えたり、書いたり、きっと、‥‥この手紙を読んで笑うことでしょう」
このように幼子のような心に立ち戻ったNさんを、Nさんのお母さんでもあり私たちのお母さんでもあるマリア様は、微笑んで見ておられたでしょう。
幸いはここにもありき独房に ロザリオとなえる朝の静けさ