「この子と初めて顔を会わせたのが、七年前の今日でした。あの時の喜び以上のものが、七年後のこの日に待っているとは、想像もできないことでした」
七月十一日の七歳の誕生日に、一年生のFくんは学校の聖堂で洗礼を受けました。
洗礼式後のお祝いの席で、お母さんのご挨拶は続きます。
「子供の洗礼を全く考えていなかった私に二カ月ほど前、S神父様とお話をする機会があり、神父様の何げない一言が私の考えを変えました。
神様を信じておられない方はどう思われるかわかりませんが、神様が人を通して私を動かし、このような恵みをいただけたのだと感謝しています」
S神父とは、Fくんのお母さんにFくんの洗礼を薦め、洗礼に導いたわが校の指導司祭です。お母さんの考えを変えていったその言葉とは、S神父の敬愛する福者ホセマリア・エスクリバ-が幼児洗礼の大切さを世界中の人々に話された際、よく使われたたとえでした。
「子供にミルクを与えない母親はいないでしょう。洗礼からいただける恵みは、子供にとってミルク以上のものですよ」
これを機に信仰を呼び戻されたお母さんは、一人の母親として幾日も幾日も真剣に考え続けられたのでしょう。ある日、思い切ってFくん(トモ)に話をしました。
「トモ、洗礼を受けようか?」
「‥‥‥‥‥」
黙ったままお母さんを見つめるFくん。お母さんの瞳が揺れました。
「トモにも、お母さんと同じ、神様の子になってほしいの。だってそうじゃなかったら、いつか天国に行く時‥‥お母さんとトモはもう会えないかもしれないのよ。」
親の愛情は子供を動かします。Fくんは、お母さんの真剣な愛情を信頼し、洗礼を受けることを喜んで承諾したのでした。
母子ともに、様々な準備をして臨んだ洗礼式には、Fくんのおじいさん、おばあさんを始め、クラスメ-トや保護者、先生方や知り合いの方々などたくさんの参列者がありました。
式の中でS神父は、参列者の子供にも分かるように次のような説教をされました。
「一年生は、今、国語で『おおきなかぶ』のお話を勉強していますね。あのおおきなかぶは、一人の力ではぬけませんでした。
おじいさん、おばあさん、まご、いぬ、ねこ、ねずみ、みんなが力を合わせたときにぬけたのです。
洗礼もそれと同じです。Fくん一人の力でできることではありません。たくさんの人の祈りのおかげで、できることなのです」
厳かな式の中、一番後ろの席で見知らぬ女性が、何度も何度も涙を拭われていました。
後で聞くと、その方はFくんの幼稚園の時の先生で、わが校に行くように薦めてくださったカトリック信者の方だったのです。この方もまた、Fくんのために、ずっと祈り続けてこられたのでしょう。
Fくんの洗礼は、FくんとFくんの家族に幸福をもたらしました。でも、それだけではなく、Fくんと神様を知る人にも、涙が出るほど嬉しいことだったのです。
そして天国で、Fくんの祈り、お母さんの祈り、おじいさん、おばあさんの祈り、S神父の祈り、あらゆる人の祈りと願いをすべてご存じであったマリア様は、きっと誰よりも喜んでおられたと私には思えます。