私たちは何も持たずにこの世に来ました。
そして何も持たずに死んで行きます。
その間、私たちが持っているように思えるもの、お金、家、土地、地位、名声などは、すべて借り物に過ぎません。
時間もそうです。
時間は神様から与えられたもの
朝、目が覚めると、私たちは当たり前のように一日を迎えることができます。
あたかも時間は、これから先も無限にあり続けるような錯覚に陥りがちです。
しかし、実際には、時間は無限ではありません。
自然にあるもののように思えますが、神様が与えてくださらないと、人間の力で得ることはできないものです。
呼び戻すことのできない過去、この先どれだけあるか分からない未来も、砂のように滑っていくこの現在も、すべて時間は神様からのものです。
神様がこれをうまく使えと、与えてくださっているものです。
ですから、この時間の借用期限が切れる時、つまり人生が終わる時、私たちは神様から問われることになるでしょう。
「あなたは、与えられた時間に見合うことがどれくらいできたのか」と。
タレントのたとえ話から
福音書に出てくるタラントのたとえ話(マタイ二十五章)は、そのことを私たちに教えてくれます。
「ある人が旅行に出かけるとき、しもべたちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、一人には一タラントンを預けて旅に出かけた」。
主人は留守中、財産を管理するように下男の一人ひとりに異なる金額を委託します。
しばらくたって主人が帰って来て下男たちと精算します。五タラントンを預かった人は、それを基にもうけた別の五タラントンをも差し出し、主人から誉められます。
「忠実な良いしもべだ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。
二タラントンを預かった人も同じようにもう二タラントンを差し出し、全く同じ言葉で誉められます。
しかし、一タラントンを任された人は違いました。彼は土を掘り、預かったものを埋めておくという楽な道をとりました。彼は怠けていたのです。
他の下男たちは、預かったものを活用して、それ以上のものを主人に返そうと必死で働いていました。主人の言葉は明白だったからです。
「私が帰るまで、これで商売をしなさい」。(ルカ 19―13 )
ところが、一タラントンの男は無益な時を過ごし、主人の叱責を買います。
「怠け者の悪いしもべだ。・・・・・・さあ、そのタラントンをこの男から取り上げ、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は、更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たないしもべを外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」。
「タラントン」とは、英語では「タレント」のことで、神様からの自然的・超自然的たまものを意味します。
そのタラントンをさらに増やすように神様は求めています。神様はそのために私たち一人ひとりに時間をお与えになりました。
私たちは、与えられた時間を使ってどのような実りをもたらしたかを報告し、その実りを神様に差し出さねばならないのです。
その審判の時、神様から「おまえはいったい何をしていたのか」と叱責を受けるのか、それとも「忠実な良いしもべだ。よくやった」と誉められるのか、それはいただいた時間の使い方にかかっているのです。