時間という宝

短時間を利用~わずかがすべてを変える

塩や醤油がわずかの量で料理全体の味を変えるように、ごくわずかな時間がすべての質を変えるということがあります。

わずかな時間で体や知性や能力が変わる

現代の著名な知識人であり、ベスト・セラ-『知的生活の方法』など数々の著作家としても知られる渡辺昇一氏の言葉を引用します。

「毎日五分前後の運動をすることによって、今や私の背骨は、私より二十歳も若い学者たちよりも柔軟になった。

肉体でもそうなら、脳にも毎日三十分か一時間くらい異質な運動を与えてみてはどうであろうか。

毎日一時間、仕事と関係のないことで頭を使おうと決心するならば、そのことによって、生活のクオリティは一変するだろうと予想してよい。

毎日一時間だけ、今までやらなかった『高級なこと』をやることによって、残りの二十三時間のクオリティが善変するのではないだろうか」(『クオリティライフの発想』)

この説には、なるほどもっともだと頷けます。

私が勤務していた学校では、小学生から週に二回~三回英語を教えています。一週間の生活時間一六八時間のわずか二パ-セントにも満たない時間ですが、それでも効果はあるのです。

小学五・六年になると、ほぼ全員が英語検定試験の五級には合格します。六年生では毎年英語劇を上演できるようになります。

また小さいうちから英語に触れてきた子供とそうでない子供とでは、ヒヤリングの力に大きな差が生じるという報告を聞いたこともあります。

短時間の祈りが生活のすべてを変える

ところで、「短時間がすべてを変える」という説が真実であり、それが肉体や知的能力にも当てはまるのであれば、霊魂にも言えないはずがありません。

つまり毎日の短時間の祈りが、生活のすべてを変えることもあるのです。

聖テレジアは「毎日十五分でも念祷する人は救われるだろう。しかし、それさえしない人は、悪魔が誘惑する必要もないだろう」と警告を発しています。

本気で救いを求めるには、祈ることが必要です。自己の霊魂を向上させるためには、肉体や頭脳をトレ-ニングして向上させるように、祈りというトレ-ニングが必要なのです。

「祈りは霊的な建物の土台である。」(『道』83)

対神徳と呼ばれる信仰・希望・愛は、祈り求めることによっていただけます。正義・賢明・剛毅・節制の枢要徳にも祈りの土台が必要です。

自己を聖化しようと思うなら、祈りは必要不可欠なのです。

「祈りがなければ、活動に価値はない」

(『道』81)

祈りは祈る人を聖化しますが、その人の活動にも価値を与え、聖化します。祈りによって、活動の意向が、神のみ旨と合致し、その活動が神の業と同等にまで高められるからです。

たとえば、朝起きた時、次のような簡単な祈りをする人がいます。

「神様、今日一日の命をありがとうございます。この一日、私は与えられた使命を忠実に果し、役立つものになりたいと思います。どうかお助けください」

この人は、この短い祈りによって、自己の仕事を超自然的に高める準備をすることができます。

短い祈りでも、するとしないでは大違いです。その人の人生の価値も進行方向も、全く違うものにするのです。

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