時間という宝

聖人たちにならって時間を活用する

子よ、天と地に目を向け、そこにある万物を見て、神がこれらのものを既に在ったものから造られたのではないこと、そして人間も例外ではないということを知っておくれ。 (マカバイ記 ニ 7―28)

聖人たちは時間活用の達人~聖トマス・モア~

聖人たちは、時間活用の達人でした。

人生の目的が何かよく分かっており、そのために必要なこと、無駄なことをよく弁えていたのです。

『ユートピア』の著者としても知られる聖トマス・モアは、十六世紀のイギリスの政治家でした。

深い学識と類い希れな指導力、人望のため、国王ヘンリー八世から首相に任命され活躍しますが、王の離婚に反対をとなえ、死刑に処せられました。

地位・名誉・権力に屈せず、カトリック信者として、神のみ前に正しい信念を命を懸けて守り通した聖人です。

死刑の判決を言い渡しても、国民が敬愛してやまなかったトマス・モアに王は、すぐには刑の執行を命じられませんでした。

十五か月もの間モアを幽閉し、離婚に賛成するように説得を続けたのです。ある時には、モアの最愛の妻アリスが訪問し哀願しました。

「私には、不思議でなりません。いつも賢明に振る舞い、寛容で、物事の判断を誤ったことのないあなたが、なぜ今度だけこのように頑固なのですか。

この国の司教様や貴族のすべてが承知なさったことを、なぜ、あなたが承知してはいけないのですか。

ただ一言、陛下にイエスとおっしゃれば、また元のように楽しい生活が送れますのに‥‥。陛下は約束してくださいました。

もう一度チェルシイへ帰りましょう。あなたのお好きな美しい緑の芝生の庭、あなたの書斎、好きなご本のある図書室、みんな、あなたのお帰りを待っています」

「アリスよ。チェルシイであなたと何年ぐらい楽しい生活を送ったかね。言ってごらん」

「もう、二十年ぐらいですわ、多分」

「そう、二十年、長いようで短かったね。しかし、おかげで楽しかった。ありがとうよ。

だがね、アリス、私が家に帰れるとして、後もう幾年いっしょに暮らせるだろう。かりにもう千年幸福な生活が送れるとしよう。

だがその幸福が、利益を得るためにはどんなことでもしてよいという悪い商人のように得られるものなら、そのはかない千年のために永遠の幸せを失うことになるのを忘れてはいけないよ」

モアは、獄中で絶えず祈り、黙想し、また書いていたそうです。

そして処刑の日も、少しも平常心を失わず、穏やかな表情で死刑台に登って行きました。首切り役人が顔をこわばらせてぶるぶるふるえているの見て冗談まで言いました。

「さあ、勇気を出したまえ、心配しないで、これは君の仕事なんだからしっかりやるんだよ。私の首は短くて猪首だから、切りそこなわないように頼むよ」

人生本来の目的のために時間を活用する

彼は人生本来の目的のため、時間を最期まで活用できた人です。

彼が殉教をしたからそう言っているのではありません。

殉教は、彼が聖人であったことを示す大きな証ですが、たとえ彼が殉教をする機会に出会わなかったとしても、彼は、自分の人生を実によく生きた聖人だったのです。

敬虔なカトリック信者であり、立派な社会人でした。よく仕事をし、よく祈り、家族や回りの人々を愛し、また愛されました。

あらゆる面で人々の模範になり、奉仕し、イエズス・キリストのよき香りを日常生活にもたらした人だったのです。

このことは、聖トマス・モアだけに限ったことではないと思います。誰でもいい、聖人と言われる人を思い出してみてください。

彼らは皆、それぞれの個性を輝かせながら、神様のために時間を活用できた人々ではなかったでしょうか。

私たちは、時間の活用においても聖人たちにならうことができるのです。

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