何か良い映画を見たり、面白い本を読んだりすれば友達に伝えたくなるのが人情というものです。
「おい、この前、おもしろい映画をみたぞ」
「えっ、なになに‥‥」
映画好きな相手なら、喜んで聞き耳をたてます。こちらの熱意や話ぶりによっては、別に勧めなくても、「そんなにいい映画なら、おれも誰かを誘って見にいこうかなあ」とすっかりその気になることもあります。
聖トマス・アクィナスも言っていますが、「善は広がる傾向にある」のです。
使徒職(福音宣教)とは・・・
ところで、使徒職もこれと似ています。まだイエズス・キリストの教えや神様のすばらしさを知らない人によい便り(福音)を伝えるのが、使徒職だからです。
ところで忘れてならないのは、使徒職は私たちキリスト信者全員の使命だということです。
復活されたイエズス・キリストは、弟子たちに言われました。
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、私が命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(『マタイ』28―19)
このマテオ福音書の最後に書かれた言葉は、私たちみなに向かって発せられたメッセ-ジです。
「キリスト信者にとって、使徒職は持って生まれた仕事と言えます。日々の職業・活動に外部から付加され、並べおかれたものではありません。‥‥使徒職とはキリスト信者の呼吸と言えるでしょう。神の子であれば、この霊的鼓動なしに生きることはできません」(『知識の香』122)
まるで呼吸をするように使徒職をしたいものです。
まわりの人にごく自然に神様の愛を伝えましょう。
自分が熱く燃えていれば、熱は自然と外に伝わります。自分に光があれば、自然とまわりを明るく照らします。
熱にも光にも不足していると言うのであれば、お与えくださいと祈れば良いのです。
使徒職(福音宣教)の秘訣
「神の人、内的生活の人、祈りと犠牲の人となることが肝要である。使徒職は内的生活から溢れ出たものでなければならない」(『道』961)
使徒職の手段は、まず第一に祈り、次に犠牲、そして三番目に活動です。
活動といっても、別に変わったことをする必要はありません。
私たちが神の子としての喜びをもっているなら、友達との打ち明け話と友情によって、言葉でも行いにおいても自然と神様のことを伝えるでしょう。
仕事、勉学上の評判と良い模範が、よりいっそう効果的に使徒職を繰り広げることもあるでしょう。
「使徒職は、日常の仕事と分かつことはできません。使徒職は仕事との見分けがつかなくなり、キリストとの個人的な出会いの場ともなります。
同僚や友人、親戚たちと力を合わせて仕事を続けるならば、湖畔で待つキリストのところへ行きつくよう、人々に手をさしのべることができるでしょう」(『神の朋友』264)
ですから使徒職は、愛徳の実践でもあります。
そのために使う時間は、神様の目に、どれだけ輝いて見えることでしょうか。