これは最も大事なことかもしれません。
天の御母マリアさまに、私たちが「時間の活用」ができるように願い助けていただくことです。
短い巡礼へ
私はマリアさまに祈るため、どなたかをお誘いして時々、短い巡礼に行きます。先日は、海の見える神の島教会まで行きました。
同行してくださったTさんは77歳になる元企業戦士。高齢にもかかわらず、背筋がしゃんと伸びた人です。
戦時中は、特攻を見送ったことも数度。戦後は会社を起こして一心不乱に働き続け、会社が500人の従業員を抱えるまでに成長したところで引退されました。その後、洗礼。十年前にすでに洗礼を受けられていた奥様や娘さんの仲間入りをされました。
「もっと早く、カトリックに改宗しておれば、部下たちにもう少し優しくできておったと思います」
そんなことをさらりと言うTさんの表情は、決して暗くはありません。
私たちを子供として優しく見守るマリアさまの下では、人生の辛酸を舐め尽くしたTさんのような人でも、まるで幼児になったように祈るのです。
「めぐみあふれる聖マリア、主はあなたとともにおられます‥‥‥」
潮騒のかろやかなリズムが耳に響き、磯の香りをのせたやわらかな風が頬をなでます。
マリアさまに祈る
これまで、どれだけ多くの時間を無駄にしてきたでしょう。
なのに、どれだけ忍耐をもって寛大にゆるしてくださったのでしょう。
これまでどれだけ見守られてきたのでしょう。
なのに、どれだけ長い間、気づきもしなかったのでしょう。
これまで、どれだけ愛されてきたのでしょう。
なのに、どれだけそれに応えようとしなかったことでしょう。
私もまた、マリアさまの側らで、子供になってつぶやくのです。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。‥‥‥」
「ありがとう。ありがとう。ありがとう。‥‥‥‥‥」
「そして、これからも、どうかお助けください」