私たちが日常的に行う「平凡な小さなこと」にどれほどの価値があるのでしょうか。
そんなテーマについて、拙著『小事は大事』(くすのき出版 1999年11月1日発行)からお届けします。
平凡な小さな行いに価値はあるのか
世間は偉業を称えます。また偉業を成し遂げた人を賞賛します。
人類の文明進歩のためになされた発明、発見。世界経済発展のためになされた政治的活動。文化向上のために創造された芸術作品。スポ-ツ競技での金メダル。 それはそれで素晴らしいことです。まさに賞賛に値します。
しかし、そのような業ができないその他多くの平凡な人々の営みは、価値がないものでしょうか。 これは私が以前、漠然と持っていた疑問でした。
私達の一日は、小さいこと、平凡なことの連続で成り立っています。日常の仕事、勉強、義務の遂行、家族やまわりの人々との付き合いなど、いずれも小さなことです。
とりたてて人と違ったことをするわけではなく、ごくあたりまえのことをする、それが多くの人々の日常生活です。そういう人々の外面上の営みは月並みで、ニュ-ス性に乏しく、まわりの人から注目を浴びることも賞賛されることも、まずありません。
このように特別なことをする才能に恵まれず、平々凡々と生きる人々は、つまらない人間なのでしょうか。無益な人生を過ごしているのでしょうか。
そのような疑問があったのです。そしてそれは長い間解決できない問題でした。
神の愛のため行えば小さいことなどない
その疑問を解決する糸口を与えてくれたのが、大学生の時に出会った次のことばでした。
「万事を神への愛のために行え。そうすれば、小さいことなどない。万事は、偉大である。神への愛のために小さなことをたゆまずやり続ける人は英雄である」(ホセマリア・エスクリバ-著『道』813)
小さな平凡なことに実は大きな価値があるのだということを、私はキリストの教えを通して次第に知ることができました。そのことは、私の人生観、価値観を大きく転換させた喜びの連続でもありました。
キリスト教をまったく知らなかった大学時代から、二十年になります。その間にキリスト教関係の様々な方々や著書から教わったものを集めたものが、この小さな本です。
私の本職は長崎市に在る私立小中学校の教諭です。保護者向けに発行する学級通信では、時々建学の精神の根本であるカトリック教会の教えやこの本で述べるような人間徳(美徳)について説明することがあります。
この本の書き方は、その通信のやり方にならっています。あまり長い話は避け、分かりやすく簡潔に説明するように心掛けました。一つ一つがまとまった短い話となり、気楽に、どこからも読んでも良いようなスタイルにしています。
この本を読まれる方の多くは、キリスト信者の方かあるいはキリスト教に好意、少なくとも興味を持たれている方でしょう。
自分自身を向上させたい、そのためのヒントを得たいと思われている方々に違いありません。そのような方々のために本書が、神様の助けを得て、何がしかの「日用の糧」になれば幸いに思います。
拙著『小事は大事』(くすのき出版 1999年11月1日発行)より