日本語の中で最も美しい言葉をあげてください、と言われると「ありがとう」を選ぶ人が多いそうです。
「ありがとう」と心から感謝される時、いやな気持ちになる人は、まずいません。むしろ、うれしくなるのが普通です。
入学して間もない小学校一年生のお母さんから、思いがけず次の手紙をいただきました。
小学校一年生のお母さんからの手紙
いつもKが、お世話になりありがとうございます。
数日前のことです。Kが「ママ、机が汚れちゃったから雑巾をちょうだい」と言ってきたので、そばにあったタオルをぬらして彼に手渡してやりました。
私は机をきれいにしようという気持ちが出てくるなんて、めずらしいこともあるものだと思いながら夕食を作っていました。
しばらくして二階からおりてくると、驚いたことに、「はい、ママありがとう」と言ってタオルを渡してくれたのです。
今まで親がしてくれるのは当たり前のことのように思っていた子が、自分で机をふき、誰からも促されずに感謝の表現をしてくれたのは、初めてのことでした。
私は、うれしさで胸がいっぱいになり、そしてこれも先生のご指導のおかげと深く感謝致しました。
本当にありがとうございました。
感謝したいのはむしろ
感謝をしたいのは、むしろ私のほうでした。
学校で別にたいした指導をした覚えはありません。
ただ月のモット-(努力目標)が「親孝行」だったので、クラスの子供たちに毎日、「昨日はどんなことをしてあげた?」と聞いていたぐらいなものです。
ですから、このような感謝の手紙はまったく身に余るもののように感じ、わざわざ手紙に書いて知らせてくださったお母さんに、私の方こそ「有り難い」ことだと思わざるをえませんでした。
子供のたった一言の「ありがとう」がお母さんを喜ばせ、「ありがとう」の手紙を書かせました。
「今まで親がしてくれるのは当たり前のことのように思っていた子」が成長したことを率直に喜び、感謝する手紙でした。
そして、それを受け取った担任教師の心にも感謝の気持ちを芽生えさせました。
このように「ありがとう」という美しい言葉は、人の心をとらえ、動かすのです。
感謝すべきことに気づく
自分のした些細なことが認められ、感謝される時、人には喜びが生まれます。
感謝の言葉が日常生活の中でもっともっと使われたら、私達はどんなに気持ちよく生活できるだろうか、と考えます。
振り返ってみれば、私もまわりの人から、いろいろなことをしていただいています。
不遜にも、してくれるのは当たり前だと思うことがあります。していただいたことに、気づかないことも多いかと思います。
高慢で鈍感な私が、それを知らされるのは、祈りの時です。
「ありがとう」「ありがとう、○○さん」「ありがとう、神様」
言うべき言葉は、いつも祈りの中で教えられます。