「おはようございます」
一言、誰かにあいさつをされただけで、さわやかな気持ちになったことはないでしょうか。
あいさつは人に元気を与える
教師として私は、朝、教室に入ったときそれを感じます。
子供たちの顔がにこやかにこちらを向き、元気よくあいさつをしてくれる瞬間です。
「おはようございます」
「おはようございます」
たったそれだけですが、なぜか急に力がわいてくるような気持ちになるから不思議です。子供たちの元気な声を聞くと、よし、今日もやるぞ!という気になるのです。
その同じ子供たちに、
「家で朝、お父さんやお母さんにあいさつをしている人?」
と聞いてみます。すると意外としていないのに驚かされることがあります。
「だってお父さんやお母さんもしないよ」
よその人にあいさつをするように教えても、家の中であいさつをしないし、させない親は少なくないのです。
これは日本の一般的な家庭に多い現象のようで、欧米人の多くはこれを見て不思議に思うそうです。
日本人は外ではとても礼儀正しいのに、家の中に入ると靴といっしょに礼儀を脱いでしまうかようになる、これはどうしてなんだろうかと。
なるほどそう言えば、会社できちんとした会話のできる人が家に帰ると「メシ」「フロ」「ネル」という言葉ぐらいしか発しない、という話はよく聞きます。
外ではきちんとしているのに、家でだらしなくなる原因は、日本人の身内に対する「甘え」や自己の「幼児性」からきている、と何かで読んだことがあります。
身近な人に対しては、何をいまさら水くさいと思ってしまうこともあるのかもしれません。
家庭の中でもあいさつを
昔から「親しき中にも礼儀あり」と言われます。
人はあいさつをしっかりし、礼儀正しく振る舞うことによって、相手への敬意を表し人格を尊重してきました。それは親子と言えども、異なる人格の集合する家庭内にも必要なことです。
「おはようございます」
「いただきます」
「ごちそうさま」
「いってきます」
「ただいま」
「おやすみなさい」
このような短いあいさつが夫婦間、親子間でもあるのならば、家族の心の通い合う機会は多くなります。
それができる家庭は、互いを大切にしようと、ひとり一人が気を配っている心あたたかい家庭なのだと思います。
家庭は子供たちにとって第一の教育の場です。家庭教育の大切さが叫ばれる中で、親がまず手初めにできることと言えば、このような基本的なことにあるのではないでしょうか。
ところで、私達は神様にも毎日あいさつをすることができます。朝起きた時、食事の時、寝る時、教会の前を通る時など、あいさつをする機会はいくらでもあります。
その短いあいさつするなら、きっと神様にお喜びになるでしょう。