小さな平凡なことでも、続けていると偉大な業になります。
プロ野球の元広島東洋カ-プの衣笠祥雄選手は、二千二百十五試合連続出場という世界記録を成し遂げた人です。そのため昭和六十二年、国民栄誉賞も授与されました。
連続出場の価値
試合に出る。それだけなら、野球選手として平凡なことです。彼は、それを十八年間続けたのです。
学校でも会社でも、何年間も休まずに通い続けるということは、なかなかできないことです。
学校や会社に行くことは、平凡であたり前のことです。
しかしあたり前のことをあたり前にすることは、実際どれほど難しいことでしょう。
しかも毎日続けるとなると、よほどの忍耐力や努力を必要とします。
衣笠選手も生身の人間ですから当然、体調の良くない時がありました。
スランプの時もありました。前日にデットボ-ルを食らい、肩が上がらなくなった時もあったのです。
しかしそんな時も彼はバッタ-ボックスに立ち、ストライクが来たら、いつものフルスイングをしたのでした。
「とにかく何がなんでも出る。出た以上は、全力でプレ-をする」それが平凡を非凡に変えた彼の信条だったようです。
自分の限界や弱さに打ち克つ
常に自己の全力を出して生きる人は、自分の限界や弱さも知っています。
だから謙虚で、自分を支えてくれた人々に対する感謝も忘れません。
連続試合出場の世界記録を達成した時、彼は言いました。
「この記録は自分のものであって、自分のものでありません。ホ-ムランを打ったのなら個人のものでしょう。しかし連続試合はいろいろな人に助けてもらったから達成できたんです」
「いろいろな人」とは、監督、チ-ムメイト、トレ-ナ-、さらには友人、名も知らないファン。そして妻の正子さんです。
若いころから衣笠選手の偏食ぶりは、有名でした。魚は全く受けつけませんでしたし、野菜もいっさいダメという極端な食わず嫌い。そのまま偏食を続けていれば、故障しやすい体質になり、果してあれほどの「鉄人」が生まれていたか疑問です。
その偏食を変えていった正子夫人の功績は、食事面だけを見ても大きいといえます。
「最初は決して野菜を『食べて下さい』とは言わなかったんですよ。でも野菜の材料をいろいろ工夫して料理したら、除々にハシをつけてくれました。やはり本人に『食べなければ』という自覚があったからでしょう」
夫人のこのような毎日の小さな気配りや努力もまた、衣笠選手の偉業につながったのです。
国民栄誉賞の表彰式に夫人同伴で出席したのは、衣笠選手が初めてのことでした。
多分、正子さんの「内助の功」に感謝する気持ちが込められてのものに違いありません。
まわりの人々への感謝を忘れなかった彼のことです。連続試合出場の世界記録を達成した時の第一声が、自然と次の言葉になったというのにもうなづけます。
「野球という素晴らしいものをぼくに与えてくれた神様に感謝します」