小事は大事

小さな才能の開花~小事は大事

先日、「裸の大将」「日本のゴッホ」の異名でも知られる画家山下清展に行ってきました。

彼は、全国各地を放浪しながら、数多くの美しいはり絵や油絵などを制作し、人々に今も感銘を与え続けている画家です。

平日の三時ぐらいだったにもかかわらず、会場は予想以上にたくさんの人で混み合っていました。

買物帰りの主婦らしき女性や会社員風の男性、おじいちゃん、おばあちゃん、子供まで。老若男女の姿がそこにありました。

彼の絵には、老若男女、多くの人を引き付け感動させる何かがあるようです。

私もまた、一枚一枚の絵の前でしばし時間を忘れて見入っていました。

才能が努力と情熱で開花する

一枚の作品には、和紙の小さい切片が何千何万と散りばめられてあります。

はり絵というのは、当然のことがらその小さい紙をのりで一枚一枚貼り付けていかねばなりません。

色採が単調にならないように配色に気をくばりながら、一枚一枚丹念に進めていく根気のいる作業です。

大変な忍耐力と情熱を必要とする仕事だと思いました。

その仕事のみごとさと彼の特異な生涯が、あいまって人を感動させるのでしょうか。 山下少年の幼少児は薄幸でした。

二歳の時関東大震災で焼き出され、その後重度の消化不良で言語障害になります。十歳の時には父親が死去。

知能の遅れがめだちはじめ、学校ではいじめられっ子で反抗的でもありました。世間は、そんな彼を憐れむか邪魔物扱いするかだったようです。

彼を変えたのは、十二歳の時、母親に手をひかれて入園した精神精薄児養護施設「八幡学園」でした。

この学園は、一生を精神薄弱児の保護のために捧げようと決意したクリスチャンでもあった初代園長久保寺保久氏によってつくられた私立の施設でした。

学園標語「踏むな。育てよ。水そそげ」は氏の言葉であり、学園の教育方針でした。山下少年はここで「ちぎり絵」に出会い、次第に熱中していったのです。

そして世間の目には見えなかった小さな山下少年の才能は、少しずつ少しずつ育てられていきました。

彼自身、小さな努力を少しずつ少しずつ続けていきました。

そしていつしか、人々の心に大きな感動を呼ぶ作品を次々生み出すようになったのです。

世間からのけものにされ、役立たずのように思われていた山下少年は、たった一つの才能を開花させました。

それは、精神精薄児だからといって見捨てなかった教育の成果でもあり、彼自身の忍耐強い努力の積み重ねの結果であったと私は思います。

才能は初めは小さく目立たない

山下少年が特別の才能に恵まれていたのは確かでしょう。しかしその才能はほとんど誰の目にも止まらないものでした。

それを見つけ育てたまわりの人の支援と何よりも本人の努力がなければ、「画家山下清」は生れてこなかったのです。

「初めの<小ささ>で判断してはならない。一年草の種と百年の長寿を保ちうる樹木の種とは、大きさでは見分けられないと、だれかが教えてくれた」(『道』820)

教育者として、この文を読むとき、私は山下少年を思い出すことがあります。

そして自分のまわりの子供たちにも、まだ小さいけれど、開花すべき才能があるかもしれないと考えるのです。