家事分担とは、家の中の仕事を家族で分担して果たしていくことです。
家の中には、小さな仕事がたくさんあります。炊事、洗濯、掃除、修理など、時間がかかり、家族みんなの生活にかかわる大事な仕事もあります。
それを、お母さん一人で切り回すこともできないわけではありません。
子供には勉強をしてほしい、子供の仕事は勉強だから家のことは私がやらなくっちゃ、とお母さんが考えられるのはもっともなことだとも思えます。
しかし、それで本当に良いのでしょうか。
家事労働は人間形成のチャンスになる
子供に家事労働のしつけをしないで、十分な人間形成ができるのでしょうか。
一般に何の家事労働も与えられず大きくなってきた子供は、だらしなく、仕事をきらいます。単調な仕事や根気を要する学習は、とくにいやがるようになります。
他方、小さいころから決まった家事労働を与えられて毎日してきた子供は、仕事であれ、勉強であれ、ちゃらんぽらんにはしません。また労働によって、人間としての様々な能力もみがかれていき、学力も必然的に高くなっていきます。
学習面のみならず、人格、家族への思いやりという面でも、家事労働は大事です。 たとえば、子供がテレビの前でふんぞり返って言うとします。
「お母さん、ご飯まだあ?遅いなあ」
「早くしてよ。はらへったよ」
食器を出すことぐらい手伝ってあげればお母さんがどれだけ助かるでしょう。
しかし、こういう子供は、自分は手伝いもせず文句を言うだけです。
「腹がへった。メシはまだか」と愚痴をこぼします。
「遅い。早くしろ」と要求します。
それは、自分の都合だけを優先させる利己心から生まれます。
一人で忙しく立ち働いているお母さんがどんな思いをしているかを察することができないのです。家事労働をした経験に乏しいので、その苦労を理解できていないからです。
仕事は仕える事
他方、家事労働をしている子供は違います。
「お母さん、まだあ」とは言うでしょう。
でも、お母さんが忙しそうにしているのを見て、 「何か手伝ってあげようか」ぐらいは言えるのです。
子供は家事労働を通じて、親の苦労がわかってくるのです。
自分も家族の一員だから家の仕事を分担するのは当然だ、親が困っていれば助けるのが当たり前だ、としつけられてきた子供は、何の抵抗もなく喜んでお母さんやお父さんを手伝えます。
自分の仕事が、お父さんの疲れをいやし、お母さんの負担を軽くする点で大切な役割をしているのだと実感するようになります。
自分が家庭生活を支えていく上で、なくてはならない存在であることに誇りをもつようにもなります。つまり、家事労働は、人の立場のわかる思いやりのある子を育て、家族間のきずなを強めるのです。
十七世紀フランスの画家ラ・トゥ-ルの名画「大工の聖ヨセフ」には、仕事をしているヨセフさまの側らで、少年のイエスさまが一本のロウソクをもっている姿が描かれています。心暖まる絵です。
考えてみればイエスさまも、きっとヨセフさまやマリアさまの仕事の手伝いをしながら成長されていったのです。
仕事は「仕える事」と書きます。
家族一人ひとりが、家庭内の仕事を分かち合い、互いに「仕える事」ができれば、どれだけ思いやりに満ちたあたたかい家庭が形成されることでしょう。