愛と奉仕の精神による祈り
マリアさま
いやなことは私が
よろこんで
これは、長崎、鹿児島、東京などにて、後世に残る教育事業、被爆者福祉事業の礎を創った純心女子学園の初代学園長、シスター江角ヤス(1899~1980)の言葉です。
そのまま、純心女子学園の学園標語になっています。
「重いものと軽いものがあれば重い方を、辛い仕事と楽な仕事があれば辛い方を。聖母マリアの心にならい、喜んでそれらを選ぶ愛の奉仕の実行者であってほしい」
と、シスター江角は、創立当初から生徒達に説き続けてきました。
この学園標語に象徴される純心教育の心は、彼女自身が、まさに身をもって示したものであり、今も卒業生や在校生に継承されています。
この言葉を心で唱える時、その人にはどのような霊的な実りがあるのでしょうか。私は次のように考えています。
この言葉によって、その人は、マリア様そして神様と共にいることができます。
小さな目立たない仕事であっても、神様をお喜ばせるする捧げもの、祈りにすることができます。
愛徳、謙遜、奉仕、忍耐、喜びの徳などにおいて成長し、自分を聖化することができます。
愛のこもった行動や仕事を通して、周りの人を幸せにすることができます。
苦しく辛くとも、私たちの愛ゆえに進んで十字架を担ったイエス・キリストと一致することができます。
この言葉には、キリストが最も大切な教えとした神と人への愛がこめられているのだと思うのです。
苦しみを善に感謝に変える
苦しみのない人生はからっぽです。
あとから思い返したら
苦しみはすべて善に変わっているのよ。
だからすべてを感謝に変えていきなさいね。
1945年8月9日、長崎への原爆投下によって、純心女子学園の校舎は全焼し、当時校長であったシスター江角も瓦礫の下敷きになって重傷を負います。
恐らく、シスター江角が最も苦しんだのは、207名の生徒(純女学徒隊)と7名の教職員を亡くしたことでしょう。
戦争による惨事とはいえ、愛する教え子達を死なせてしまった責任を感じたシスター江角は、学校を閉じ、余生は教え子達の冥福を祈り過ごそう、と考えます。
しかし、その考えを知った亡くなった生徒達の父兄が相次ぎシスター江角のもとを訪れ、娘達の最期の様子を語り、純心教育に感謝し、学校閉鎖をやめるよう訴えたのです。
家族が語ったこと、それは、彼女達が一様に聖母マリアの賛美歌を歌い、苦しみの声を祈りと感謝に変えながら美しい最期の時を迎えたということでした。
それはまさしく、シスター江角が生徒達に説き続けた“純心スピリット”の証でした。
シスター江角はこのことに勇気を甦らせ、「あの子たちのような教え子をもう一度育てて、二度と戦争のない平和な世界をつくりだすのに役立つ教育を行おう」と純心女子学園の再建を決心します。
自分に与えられた命を「受難の教え子達の弔いのために捧げること」が自分にできる最大のことと確信し、教育者としての責任感と奉仕の精神をもって活動していきました。
このシスター江角の決意と働きが、戦後の長崎、そして日本を復興していく大きな一助となっていきます。
純心女子学園は、現在、幼稚園や大学を有し、東京と鹿児島に姉妹校を持ち、さらに海外の学校とも姉妹校提携を結ぶ大きな学園へと発展しました。
また、シスター江角には自分は原爆で亡くなった生徒達(純女学徒隊)の供養のために生き残らせて頂いたので、生徒達が生きていたならば行ったであろうことを自分が代わってしなければならない、という思いが常にありました。
そのため、原爆で亡くなった生徒達に代わって、原爆孤老の方々のお世話をしたいという気持ちで、1970年に恵の丘長崎原爆ホームを開設します。
1981年に恵の丘長崎原爆ホームを慰問に訪れた教皇聖ヨハネ・パウロ2世の「長崎の原爆被爆者へのメッセージ」には、シスター江角への感謝の念も記されています。
ちなみに、私(中井)も、長崎の小学校の教員だったときに、クラスの子どもたちを連れて恵の丘長崎原爆ホームを慰問し、ご老人らに創作劇を観ていただいたことが何度かあります。今更ながらシスター江角に感謝です。
聖母マリアのように神様にも人にも喜ばれる
私共が生涯の終わりの時に
問われることは
どれだけ自分の周りの人を
愛したかということだけです。
この世でどれほど成功したか、どれほど有名になったか、どれほど財産を得たかなどは、神様にとって、どうでもよいことでしょう。
たとえ目立たなくても、日常生活の小さなことを通して周りの人に愛をもって奉仕する行いの方が、どれほど神様をお喜ばせするのでしょうか。
純心学園の第一回卒業式で、シスター江角は学園長として、
「一本のマッチのように、愛の光をともし、あまねく世を照らしましょう」
という趣旨の話をしました。
その後も変わらず、シスター江角は、聖母マリア様のように神様にも人にも喜ばれる人間を育てようと生涯、愛と祈りをもって教育に尽力し続けました。
その精神は、これからも教え子たちに継承され、喜びをともなった愛の光、世を照らす光となって輝いていくように思います。
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出典:『おりおりのことば 創立者江角ヤス先生』(鹿児島純心女子学園)、学校法人純心学園HP、長崎Webマガジン「江角ヤス、教育と福祉に生きて」(長崎市広報広聴課)トップの画像は、妙摩光代著『愛ひとすじに シスター江角ヤス伝記』(智書房)