夕べがあり、朝があった。(創世記1-5)
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
夕べがあり、朝があった。第一の日である。
In the beginning, when God created the universe,
the earth was formless and desolate. The raging ocean that covered
everything was engulfed in total darkness, and the Spirit of God was
moving over the water.
Then God commanded, “Let there be light”―and light appeared.
God was pleased with what he saw. Then he separated the light from
the darkness,and he named the light “Day” and the darkness “Night.”
Evening passed and morning came―that was the first day.
(創世記1-1~5)
『旧約聖書』の「創世記」の最初の部分です。
「創世記」によると、神による天地創造は六日間でおこなわれたことになって
いるのですが、無論、実際に六日間という日数がかかったのでありません。
そうではなく、当時の人びとに天地が神によって創られたことを示すために、
分かりやすい表現をしているのです。
ともかく、「創世記」では、この六日の間、一日が終わるごとにこの「夕べがあり、朝があった。」という言葉が繰りかえされます。
六回も……。
これは面白いと思います。
現代の私たちの生活は普通は、朝に始まり、夕べに終わります。
ところが、この創世記では逆です。
夕べがあって、朝が来るのです。
もともと世界の始めは闇に包まれていました。
その闇に光が生まれ、朝が来たのですから、始めは夕べであってもおかしくはありません。
このことは、現代の私たちにもあてはめて考えることができないでしょうか。
私たちも心が闇に包まれているときがあるかもしれません。
心の夕べです。
が、いつまでも闇に閉ざされているわけでありません。
神さまはいつか光を送ってくださいますから。
夜が明ければ、必ず日の光が輝くように、私たちの心にも希望に満ちた朝がやってきます。
そう考えれば、この何度も繰りかえされる「夕べがあり、朝があった」という言葉に私は、神さまの愛と救いの響きを感じられるのです。