人生の教訓~言葉ひとつが失意の人を救う
大失敗のおかげで、大切なことを学びました。
大学生の時、教育実習で初めてした授業でのこと。しかも、あとで参観者による討議がある研究授業。教科は、小学2年生の社会科で、魚屋さんを見学した翌日でした。
「お店には、どんなものがありましたか」と問いかけると、子どもたちは勢いよく手をあげました。「はかり」「つりせんかご」など、並んでいた魚の名前も次々と答えます。
ところが、授業は予定の一時間で終わらず、私は無断で次の時間も続けました。
ついに給食のチャイムが鳴り、「魚屋さんは、なぜこんなに工夫をしているのでしょう、考えてきなさい」と言って終えました。
つまり、時間を二倍以上かけ、一番大事なことを宿題にしてしまったのです。言語道断、前代見聞のひどい授業でした。
放課後の研究討議では、参観者20数名から容赦のない言葉を浴びました。思慮も配慮も足りなかった私は、ただ小さく縮こまるしかありませんでした。
しかし、その中で次のように言ってくださった教官がいたのです。
「時間がかかったのは、中井君が子どもの発表を、最後まで聴いていたからです。教師になっても、子どもの話を一生懸命聴く先生であってください。」
それから歳月が過ぎ、厳しい言葉はすっかり忘れてしまいましたが、あの教官の言葉だけは私から消えることはありませんでした。
言葉ひとつが失意の人を救うこともあり、生き方を導くこともあります。
人の心に残る言葉とは、そんな温かさと強さを持つのものだと知ったのです。
ところで、イエスは、2000年を経ても私たちの心に響く言葉を残してくださいました。
たとえば「子よ、あなたの罪は赦される」(マルコ2-5)という一言。
神の愛ある言葉は、いつもいつまでも、私たちを救い導きます。
ラジオ「心のともしび」2016年5月放送原稿