先取り~洗礼とゆるしの秘跡は永遠の幸福の先取り
一生の間に、私たちは度々、天国の永遠の幸福を先取りするように味わうことができます。
たとえば、自分の罪がゆるされるときです。
一般に罪は、私たちを悲しみに沈めます。
罪を犯す時、表面的にあるいは一時的に快楽を味わうこともありますが、それは人間の本質的な喜びではなく、永遠の幸福と結びつくものではありません。
罪の状態にある時、人は良心に痛みを感じ悲しみや憤りを覚えます。
その痛みや悲しみを拭い去ろうと、酒や薬におぼれてみたり、快楽の奴隷になったりします。
しかし、感覚がマヒすることで一時的に忘れることができても、罪自体を拭い消すことができず、本質的な痛みや悲しみはいつまでも残ります。
そして、永遠の幸福を得る権利をなくしてしまうこともあるのです。
罪がゆるされるには、悔い改め、ゆるしてもらわねばなりません。
神さまは、私たちの悔い改める心を決して軽んずることはありません。
「わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9章13)
神であるキリストは、私たちの罪をゆるし、天国への門を開くためにこの世に来られた方ですから。
そうして、私たちを天国の永遠の幸福に導きいれたいと考えておられます。
この地上で、神さまに立ち戻り、本当の幸福を得るための道は、洗礼を受けることです。
洗礼によって、すべての罪と罰がゆるされます。
そして、洗礼後におかした罪はゆるしの秘跡によってゆるされます。
そうして迷った羊、放蕩息子である私たちは、恩恵とともに喜びを取りもどすことができます。
その喜びは、天国で神さまと共にある永遠の幸福つながっていくものです。
ラジオ「心のともしび」2017年6月放送原稿