わたしのクリスマス~『1945年のクリスマス ながさきアンジェラスの鐘』
1945年長崎のクリスマス。
もちろん私は生まれていませんでしたが、浦上天主堂のアンジェラスの鐘を聞くと、思い出す話があります。
当時、浦上は8月9日に落とされた原爆で、見渡す限り焼け野原になっていました。
生き残った人々はバラック小屋を建て、肩を寄せ合って暮らしていました。
その年のクリスマスイブの日、倒壊した天主堂の瓦礫の下から、永井隆博士らの提案で鐘が掘り出されます。
二つあった鐘のうち、奇跡的に一つは無事だったのです。
夜11時半、満天の星空の下、クリスマスミサの前に鐘は鳴り渡りました。
戦争中から歳月を経て、久しぶりに天主堂の鐘の音を耳にした人々の喜びは、いかばかりだったでしょう。
原爆で家族や家、財産を失い、生きる力をなくしていたある人は、
「辛くても生きていきなさい、という励ましの声に聞こえた」と証言しています。
鐘を掘り出した一人、山田市太郎さんも、軍隊に服役中、妻と5人の子供たち、家、財産の一切を奪われた人です。
「もう生きる楽しみはなか」と苦悩しますが、生き残った者の使命を永井博士から説かれ、浦上再建のために、祈りながら働くことを決意していました。
あのイブの日に、万感の思いを込めて鐘を鳴らしたのは、この市太郎さんです。
それ以来、再建された天主堂の鐘つきとして、朝、昼、晩、43年間毎日、鐘を鳴らし続けました。
戦争で受けた悲しみを祈りに昇華させた市太郎さんが鳴らす鐘の音は、平和と復興を願う人々の心に響き続けたのです。
戦後70年以上を経て、あの日のクリスマスを体験した人はほとんどいなくなりました。
けれども、多くの人々の祈りをこめて、アンジェラスの鐘はいまも鳴り響いています。
ラジオ「心のともしび」2017年12月放送原稿
中井俊已文・おむらまりこ絵『1945年のクリスマス ながさきアンジェラスのかね』(ドン・ボスコ社)
念願の絵本になりました。