射祷とは、短い口祷のことです。
たとえば「主よ、おあわれみください」「聖母マリア、お助けください」「聖ヨゼフ、力をお貸しください」「守護の天使、悪魔の誘惑から守ってください」など。
声に出して唱えることもできますし、心の中だけで言うこともできます。
そして短い祈りですから、いつでも、どこででも唱えることができます。
「朝、身繕いをする間、子供のように、口祷を唱える習慣をつけなさい。そのあと一日中、神の現存を保つのが楽になるだろう」(聖ホセマリア・エスクリバー著『道』473)
朝から、前もって決めておいた射祷が口に出るとしたらしめたものです。
そのあと仕事や勉強の中に、家族や友人、同僚と接する時にも神様を思い出し、一日中神様との会話を続けることがたやすくなるでしょう。
その結果、仕事や勉強は神様に捧げられたものとなり、私達と接する人々は、私達を通してキリストのよき香りを感じるようにまでなることでしょう。
また、もっともっと神様と付き合いたいという望みも湧き上がってくることでしょう。
「まず、射祷を一つ唱えることから始めて、次第にその数を増していくが、燃えるような射祷とはいえ、そのうちそれだけでは十分でないと感じ始める。言葉ですべてを言い表すことができないから。
そこで、神との親密な交わりへの道が開かれ、倦まず弛まず神を見つめるようになる。
そうなると、捕われ人、虜になったように感じる。そして、力に限りがあり過ちを犯しつつも、最善を尽くして、職業上、身分上の義務を果たしているならば、心はそこからのがれて神に向かうことを熱望するようになる。
ちょうど、鉄が磁石にすい寄せられるように、甘美な驚きのうちに、いとも効果的にイエズスを愛し始めているのです」(聖ホセマリア・エスクリバー著『神の朋友』296)
そこまで達するためは、「まず一つ唱えること」からです。そして「次第にその数を増やして」いって習慣づけることです。
しかし、これはただ射祷の数を増やしていこうと思うだけでは、なかなか習慣づきません。各自の事情や状況に応じて、神様を思い出すための人間的な工夫と努力が必要です。
たとえば、机の上に小さな十字架を置いておく、ノ-トの中に射祷を書いたカ-ドをはさんでおく、時計をわざと反対の腕にはめておく、など。
また、マリア様のご絵を部屋に飾っておき、時々視線を向け、何か子供としての言葉をかけるかあるいは、見つめるだけでもマリア様をお喜ばせするでしょう。
「あなたが幼くて何も持たず弱々しい人間であることを直ぐに認める必要がある。
そう感じることができれば、子供として心の奥にある射祷や愛のこもった眼差しやマリア信心を実行することによって、天の御母の膝に身を投げ出すことができるだろう。
聖母はあなたを守ってくださることだろう」(聖ホセマリア・エスクリバー著『鍛』354)