聖人たちは、小さなことを大切にできる人でした。
小さき聖テレジアも、マザー・テレサも、聖ホセマリアもそうです。
どんな小さなことでも、神様への愛のためにささげるのであれば、価値があるものだと知っていたのです。
それは偉大な仕事をなした聖人も然りです。
二十世紀に数々の大仕事をなした教皇、聖ピオ十世教皇についてご紹介します。
聖ピオ十世教皇の知られざるエピソード
聖ピオ十世教皇は、二十世紀初頭の混乱した社会をキリストにおいて建てなおすため、大活躍をした聖人です。教皇庁の改革と教会法の法典化、司祭養成上の改革、民衆の宗教教育、聖歌ならびに聖務日課の改革などを次々と断行しました。
このように後世に残る大きな仕事をする反面、彼はキリストのように貧しく生まれ、貧しく生き、すべての人に心細かに仕えようと、小さなことを大切にする聖人でもありました。
こんなエピソードが残っています。
彼が神学校の教授時代、ナネという老夜警に午前三時に起こしてもらっていました。熱心な神父は、しばしばその前に起きて勉強していることもありました。しかし、ナネ老人の足音を聞くとすぐにランプを消して、彼がノックをしてくれるのを待ったのです。
「神父様、時間です」
「はい、ありがとう」
これは、この老人が自分も役に立っていると思うようにとの彼が示したやさしい気配りだったのです。
彼が枢機卿の時も、庶民の友となりました。彼は街を歩き、囚人を見舞い、司祭の平服を身につけて貧しい人を尋ねました。
「あなたの情け深い神様はね、貧乏人のことなんか忘れちまっているんだ」
ある日、裏町のボロ小屋で病床にうなっている婦人から言われた言葉が、彼の心に突き刺さりました。
すでに大司教館の金庫はからっぽです。貧しい人々に施してきたので、質草になりそうな品物もありません。夜通し考え、祈り、決心した枢機卿は、こっそり顔馴染みの質屋のレビ老人を尋ねました。
机の上におかれた司教指輪を見て、レビ老人は驚きました。
「閣下、まさかそのお指輪を入質なさるのですか。大聖堂の行事にご入用でございましょうに」
「レビさん、キリストは私の指輪より私の心を問題となさるのだよ」
教皇になってもその姿勢は変わりませんでした。愛に満ち、他人に対してはいつも惜しみなく与えました。物質的なものだけを与えていたのではありません。
神のため、人々のために、どんな小さなことも怠らず働き、自分自身を与え続ける姿勢を貫き抜き通したのです。
小さなことに愛をもって
教皇ピオ十世のような華々しい業蹟を残した聖人でさえ、小さなことを大切にし、愛をもって実行してきたのです。
「愛がなければ、外的行為だけでは何の役にも立たない。しかし愛によって行なわれるなら、どんな小さなつまらないことにでも価値がある。なぜなら、神は人が何をなしたかというよりも、むしろどういう心でしたかを重んじ給うからである」(『キリストにならって』第十五章3~5)
なした外的行為が何であれ、聖人たちの心は、神様を喜ばせるものだったのです。