『小事は大事』を終えるにあたり、
最後にマリアさまの模範にならい、マリアさまに取次ぎを願いたいと思います。
マリアさまの生涯は、日常生活を通して神さまに仕えようとする私たちにとって真似るべき模範があります。
マリアさまの外観は平凡主婦だった
マリアさまは、その生涯の大部分を平凡な日常生活の中に過ごしました。
マリアさまは地上にいる間、何の奇跡も行いませんでした。
一生涯これといって目だったこともしませんでした。
御告げやキリストの受難など大きな事件はありましたが、それはマリアさまが行ったことではなく、マリアさまに起こったことです。
マリアさまの日々の務めは、家事でした。
それは現代の普通の主婦が従事する平凡な仕事と同じです。
炊事、洗濯、裁縫という家の中に山ほどもある細々とした家事や家族の世話がマリアさまの毎日の仕事でした。
親しい人々への細やかな心づかい、友人や親戚との話し合いや訪問など、普通の主婦がしていることをマリアさまもしていました。
このように外面的には平凡な生活を送りながらも、マリアさまが歴史上のどの人物よりも偉大であり、全被造物の中で最も聖なる者と言われるのはなぜでしょう。
マリアさまはどのようにみ心に応えたか
それを考えるとき、マリアさまが無原罪の御宿り、神の御母という特別の恩寵をいただいたこと、と同時に忘れてはならないことがあります。
それはマリアさまがその恩寵と神様のみ心に生涯をかけてどのように応えたかということです。
神様がマリアさまに期待した御旨とは、まずイエスさまの母親になることでした。
子供を生めば、それだけで母親であるとは言えません。育てあげてこそ、母親です。
子供を育てるということは、細やかな愛情を瞬間瞬間、毎日毎日、長い間、与え続けてこそできることです。
マリアさまは、そのみ心に愛をもって応えられ続けたのです。
そして、イエスさまの母親として、約三十年間、隠れて過ごすのがマリアさまへの御旨でした。
慎ましやかに謙遜に、特に変わったことも目だったこともせずに、マリアさまはヨゼフさまやイエスさまと生活しました。
普通の家庭の主婦がする日常的な雑事を軽んずることなく、愛をこめて、一つ一つていねいに果たしました。
それが、神様のみ心だったからです。
聖性は日常生活を通して高めていくことができます。
日常生活の中に神様のみ心を見て取り、どんな小事であっても愛をこめて果たすことによって高められます。
マリアさまも自己の聖性をそのようにして高めていったのです。
私達にとってマリアさまは、模範であり、道です。私達も、自分が置かれた場で、日常の仕事や小さなことを通して、マリアさまのように生きることができるのではないでしょうか。
マリアさま
私も日常のささいな事柄を通して
主のみ心を愛をこめて果たすことができますように
どうかお助けください。