聖なる人

聖書に導くために文章を紡いだ三浦綾子

世には、聖書には全く無関心で一生を終える人も少なくない。だがどんな人であっても、一生に一度や二度、必ず、
「ああ神よ」
と叫び、
「一体どうしたらいいのだろう」
と、うめくような悲しみや苦しみにあうことがあるのではないか。
もし、そうしたときに、その人が聖書を知っていたならば、その苦しみや悲しみは、その人にとって、単なる苦しみに終わらず、もっと別の意味を持つかもしれないのである。
私自身、聖書を知らなかったときの自分と、知ってからの自分とを比較して、そう思うのである。

三浦綾子『新約聖書入門 心の糧を求める人へ』(光文社文庫)

聖書と出会う前の三浦綾子

三浦綾子さんは、16歳で小学校教師となり、7年間勤務しました。

毎日、児童ひとりひとりのために45冊の日記をつけるほど、大変熱心な先生でした。

しかし、敗戦後、あらゆるものの価値が転換するなかで、彼女が一途に信じてきたものが否定されます。

たとえば、これまで子どもたちに、胸を張って教えてきた教科書に墨をぬらせること。

純真な子どもたちを前にして、もはや自分は教壇に立つことは許されないと、彼女は教師をやめます。

そして自暴自棄の上、ある人と婚約するのですが、直後、肺結核のため倒れます。(彼女はこれを天罰だと考えました)

そして、虚無に陥り、人も自分も信じられなくなり、自殺まで図ります。

しかし、この時期に現れた幼馴染のクルスチャン前川正さんの導きで、聖書を読み始めるのです。

彼女は、ようやく、前川正さんを愛し始め、彼が信じていた神を信じられるようになります。

そして、キリスト教に入信しました。

数奇な神の計らい

ところが、互いに清い愛を深め合うなか、最愛の人、前川さんは病死。

またしても悲しみの底に突き落された綾子さんは、併発した脊椎カリエスのため、ベットの上でギブスにくるまれ身動きできず、ただ仰向けのまま泣くことしか許されない状態でした。

1年後、生前の前川青年とそっくりのクリスチャン三浦光世さんが、不思議な縁の導きで彼女の病室に現れます。

「神様、この人のために自分の命を捧げてもかまいません。ですから、この人を治してください。」と祈った三浦光世さん。

綾子さんは、光世さんに強く惹かれるようになります。

「あなたは、わたしにとって、なくてはならない存在なのだ」というメッセージを綾子さんは、光世さんを通して神様からいただいたのです。

13年間の闘病生活を終え、綾子さんと光世さんは結ばれます。

その後、雑貨屋を営む主婦として、小説を書き始めるのです。

伝道のために書く

三浦綾子さんは、自らがクリスチャンであること、伝道のために小説を書いていることを、作家としてのデビュー当初から公言してきました。

三浦綾子文学のスタイルは、初期の作品『氷点』(一九六四年)、『ひつじが丘』(一九六五年)、『塩狩峠』(一九六六年)、そして自伝『道ありき』三部作(一九六九年~)で、すでに確立されています。

その後の作品にも、キリスト教の思想「罪」「愛」「信仰」「希望」「救い」などが散りばめられていました。そうして、自分の作品が読者を『聖書』へと導く伝道の手段となるように、祈り書き続けてきたのです。