悲しむ人々は、幸いである(マタイ5-4)
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
Blessed are those who mourn, for they will be comforted.
(マタイ5-4)
阿南慈子さんという方をご存じでしょうか。
31歳のときに思いがけず難病にかかり、その10数年後天国に旅立った人です。
身体の機能が次第に失われていき、目も見えなくなり、言葉もかすかにしか発することができなくなる病気でした。
まだ幼い2人の愛児と愛する夫が彼女にはありました。
どれだけの無念さと悲しみを背負い、乗り越えてきたか、想像できないほどです。
しかし意外にも、彼女と接した人々は前向きで明るい彼女に逆に元気づけられました。
彼女が残した文章は、どれも読む人を勇気づけ、力づけるものでした。
「神さまは、わたしをこんなにも幸せに生かして下さっている。
人の目には価値なき者に見えるかもしれないわたしでも、神に愛されていることを知っているから、こんなに幸せ。
神さまが全ての人をどんなに愛し、一人残らず皆の幸せを望んでおられるかを伝えたい。
神は存在そのものであり、命そのもの、愛そのもの。
だから、人間は皆一人ひとり、その神の愛に応えなければならない。
真剣に愛をもって生きぬくことによって。
そのことを伝えられたら、わたしは生まれてきた甲斐がある。
生きてきた甲斐がある。病気を受け取った甲斐がある。
そして、阿南慈子である甲斐がある・・・・・・。」
(阿南慈子著『神様への手紙』PHP研究所)
人は、何か大きなものを失ったときに、神さまに出会うのかもしれません。
神さまに出会った人は悲しみを癒され、自分が愛されていることを実感します。
悲しみを癒された人は、人の痛みがわかる優しい人になり、悲しみを乗り越えてきた人は、まわりの人を勇気づける人になるのでしょう。