愛は忍耐強い(コリントⅠ 13-4)
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
Love is patient ; love is kind; love is not envious or boastful or arrogant or rude. It does not insist on its own way ; it is not irritable or resentful ; it does not rejoice in wrongdoing, but rejoices in the truth. It bears all things, believes all things, hopes all things, endures all things.
(コリントⅠ 13-5~7)
愛について書かれた文章のなかで、このコリントの信徒への手紙13章ほど人間を崇高ならしめる愛についての表現をわたしは知りません。
パウロの語る愛は、人間の本能的な愛ではなく、ときには感情に反した理性の愛、意志をともなった行いの愛です。
自らを打ち捨てて、相手のために奉仕する愛といってよいかもしれません。
そういう愛を今の自分がどれだけ身につけているのでしょうか。
確かめてみる方法があります。
作家の三浦綾子さんが何かの本で教えてくださったやり方ですが、この文章に書かれた「愛」という主語のかわりに、「わたし」という言葉を入れて読んでみるのです。
わたしは忍耐強い。わたしは情け深い。ねたまない。わたしは自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
いかがですか。
わたしには、なんとも居心地のよくないどころか、なんだかウソをついているような気分さえ起ってきます。
いかに自分が本当の愛から遠く離れた者か、この文章は教えてくれるのです。