御心のままに(マタイ26-39)
父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。
My Father, if it is possible, let this cup pass from me ; yet not what I want but you want.
(マタイ26-39)
この言葉は、イエスがご受難に遭われる直前、ゲッセマネの園で夜通し祈っているときに発せられた祈りの言葉です。
イエスは、これから先自分がどれほどの苦しみを受けねばならないかをご存じでした。
「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚まして祈っていなさい」とペトロとヤコボに言い、彼らと少し離れたところで血の汗を流すほどの苦痛をともないながら祈りました。
神でありながらイエスは、苦痛も悲しみも感じる人間性をもっていました。
できればこの苦しみの極みを避けたいと、人間ならだれでももつ感情をイエスは吐露し願ったのです。
しかし、自分の願いどおりではなく、天の父の御心が行なわれるようにと、付け加えるのを忘れませんでした。
わたしたちも、神に自分の願いを頼むのですが、かなえられないときがあります。
それは、多くの場合、自分の願いが神さまの御心にかなわないときでしょう。
神さまは、たとえわたしたちが苦しんでも、病に倒れても、傷ついても、御心を実行されるときがあります。
神さまは常にわたしたちの幸福を考えておられます。
わたしたちの願う一時的な幸福でなく、永遠の幸福を与えたいと願っていらっしゃるのです。
死ねば、多くの実を結ぶ (ヨハネ12-24)死ねば、多くの実を結ぶ (ヨハネ12-24)
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。...